フィフィ オフィシャルブログ「All about FIFI」by Ameba

~お知らせ~

★通販生活 10月号 インタビュー掲載★日本テレビ系『踊る!!さんま御殿!』 

★テレ朝系「世界秘オモシロCMサミット」に出演

10月8日(土)23:15~24:09

★清話会発行『先見経済』10月1日号にて

直筆コラム時論「日本の国際交流」を掲載

★10月22日、23日名古屋栄セントラルパークのワールドコラボフェスタに参加

★テレ東系『ピラメキーノ』出演予定 放送日未定

★ニコ生ブロス『朝生第二会場~40歳以上お断り』

★読売テレビ系『あさパラ!』スペシャルに出演予定

12月24日9:25~

★BSフジ「BOAT RACEライブ」に出演予定

★DMMネット「No Sunmusic,No Life」に出演

12月7日20時~

★雑誌「an.an」1月11日発売号


問い合わせ先: サンミュージック





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75年目の終戦の日に〜平和への祈り

 75年を迎える終戦の日、2020815日、今日は世界の平和の友好のために祈り、そして未来のために何が出来るのかを考え、また国を守るため犠牲となった英霊を追悼する日であります。

 私の息子は日本人です。息子がこの先、生きていく未来に、美しい日本、平和な世界を繋いでいくために、ここに私の気持ちをまとめさせて頂きました。


 まず、日本における平和について今年は日本だけでなく、世界中に新型コロナウイルスの感染が拡大し、多くの人が亡くなり、また世界経済は大きなダメージを受けました。百年に一度あるかないかのこの疫病に世界が一丸となって乗り越えていこうという、そんなコロナ禍に日本はこれまでにないほど安全保障を脅かされている状況にあります。

 中国が連日、沖縄県の尖閣諸島周辺の領海に侵入しているのです。4月中旬から尖閣諸島周辺では実に111日も連続で中国当局の船が確認されています。これは、日本が尖閣の国有化を宣言して以降、最長記録です。

 中国船による領海侵入に対し、日本に制限する資格はないと言い放った中国、今後は中国による領海侵入がエスカレートすると見られています。

 これに対し、米英が協力して日本を守り抜くと約束をしているにも関わらず、日本国内ではこの問題について積極的な議論がされていると思いません。

 今日本は平和だ、この平和は憲法9条によって守られたそんな意見も聞きますが、そもそも憲法9条で守られた平和だったのでしょうか?しかもこの先、平和と言える状況が続くとも思えません。実際に憲法9条がある中で、こうして日本の平和と安全が脅かされているのです。


 防衛や安全保障、憲法改正について議論しようとすれば、戦争しようとしているの?戦争反対!と声を上げる人がいる。マスコミも一緒になって日本は戦争に向かっているといったニュアンスで報じる。

 彼らは日本が今抱える問題が見えていないのでしょうか?なぜ尖閣問題を見ようとしないのでしょうか?国際情勢を知らないのでしょうか?香港や台湾、それだけではありません。ウイグルやチベットでの問題に目を向けないのでしょうか?これらの地域で起きている中国による人権弾圧、人権侵害、侵略行為は対岸の火事では済まされません。明日は我が身、日本の将来の姿かもしれないのです。

 中国は本気で尖閣を狙っています。香港に国家安全法を強引に導入し、香港市民を次々と逮捕するのを見て、他人事と思う人もいるかも知れませんが、中国の野望が留まるわけはありません。

 ベトナム、インドネシアは小国ながら自分達の海を守るため必死に戦っています。インドも領土を守るため、台湾も併合を許さないために、みんな大国相手に抵抗しているんです。

 そして香港はまだ二十歳そこそこの若者達が香港の未来のために、自由と正義を守るために、命の危険も顧みず声を上げ運動しています。


 日本はアジアにおけるリーダーとして率先して彼らに協力し、支援するべきなのです。リーダーとしての責任を果たすべきです。

 先人が守り抜いてきた日本の海を他国の侵略から守るために、アメリカから言われたからやるのではなく、本来であれば日本から呼びかけて協力を促し、動くべきなのです。

 これは戦争への道ではありません。防衛です。戦争にならないための抑止力、国防の観点から、当然の行為なのです。

 私はそれすらしない、決断しない日本政府を残念に思います。そして自国を防衛する事すら許さない論調に情けなくなります。

 日本政府はいつも遺憾の意を繰り返すばかり、しかしこの大人の対応は国際社会では通用しません。日本がどれだけ穏便に、平和的な解決、手段を望んでも同じように考える相手ばかりではないのです。

 日本を守るために、日本は、日本人は何をすべきでしょうか?それを本気で考える時期に来ているのです。

 

 自分の国を愛することは、必ず世界平和に繋がります。日本で愛国を口にすれば、軍国主義的だ、排外主義的だと言う人がいますが、あまりに短絡的で偏見に満ちていると思います。戦後教育の影響かも知れません。メディアの伝え方にも問題があります。これらの誤解を与えた責任は大きいです。

 愛国心は自分の国を愛することだけではありません。自分の国を愛するからこそ、他の国の人が如何に同じく自分の国を愛しているのか受け止め、理解することができるのです。


 自分の国を知ること、自分の国の文化に触れること、歴史を学ぶこと、それで初めて自分の国を愛していると言えると思うのです。

 文化はブームで終わるものではありません。歴史は利用するものではありません。そして愛国心は装うものではないのです。

 本当に自分の国を愛しているなら、この日本を愛しているなら、それをもっと表現していいんです。そして、日本のために、この国の将来のために、世界の平和のために、今こそ行動すべきなんです。


 今日、815日は先人が残してくれたこの美しい日本を、日本人がどう次の世代に、そして未来に繋げ残していけるのかを、そして世界平和を考える日であると思うのです。

 いま改めて、戦争で命を犠牲にし、この日本を守ってくれた英霊に、心より感謝の意を表したいと思います。

          2020815日 フィフィ

今更ですが、バチェラー3を見て、感想を書きました!!

今更ながらこの数日で以前から見なよ〜って勧められてたバチュラー3を見終わっての感想をまとめてみた。
まだ見てない人はネタバレするので要注意。

やはり見てて思ったのは、いわゆる一般的に男性ウケする女性っているからね、例えば気遣いができるとか、素直に喜んでくれるとか、そゆのをちゃんとおさえてる女性は男性から好かれるよね、そこが同じ女性としては参考になるなぁと。逆に色仕掛けしてくるとか、どうでもいいところで駆け引きして相手の気を引こうとしたり、そんなアプローチの仕方を間違えてる子達ね、自分もついついやってしまいがちなことが、客観的に見るとよく分かるからね、それも恋愛において参考になったなと。

見終わっての感想だけど、やはり難易度の高いデートも、難なくサラッとこなすバチェラー友永さんは流石だったよね。スペックも高い。それでいてほんと終始 素直で純粋な印象だったよね。細かいことは気にしないタイプだよって本人も言ってたけど、それでいて誰にでも気遣いができる…最後のローズセレモニーは彼のそんな気遣いできる優しさが集約された結末だったよね。要するに番組への気遣いもあったのかなと。それがアダになっちゃって反感買ってしまったところはあるね。

あらかじめ岩間さんの気持ちを聞いてしまっていたからね、このままだとカップル不成立で番組が終わってしまうからね、そんなことも考えて考え抜いた末の決断だったのかなと受け取ったよ。
岩間さんの気持ちも確かに尊重したくなるよね、恋愛からお願いしますって猶予があるならまだしも、結婚相手として選ばれるって、もっと考える時間は欲しいかもだからね、あの時点ではまだ結婚へ踏み込めなかったんだろうね。その気持ちは理解できるな。

バチェラー3ってつまり、バチェラー友永さんが振られたってことな気がするんだよね。
最後は本命の子を忘れるために、自分に言い聞かせて無理に水田さんに向き合おうとした感じだったね。
ここまで見てきて、最後に視聴者がスッキリしななかったのは、きっとみんな全力でバチェラーにぶつかって当たって砕けてきたんだから、お前も当たって砕けろよ!岩間さんに本当の想いをぶつけて振られるなら振られてでもぶつかって砕けろよって思ったからじゃないかな、それをしなかった友永さんに対して卑怯だよ〜とか感じたんじゃないかな。

最終回でスタジオに来ていたバチェラー友永さんに指原さんが、また水田さんに戻ることがあるんですか?と質問したり、あとスタジオに来ていた金髪の子ね、中川さんがバチェラー友永さんはコロコロ気持ちを変えてるみたいなことを言ってたけどね、私が思うに、彼はもともとずっと岩間さんが好きでどんどん想いが大きくなっていったと思うから、気持ちは変わってないし揺れ動いてもなかったと思うんだよね。
むしろ終始 色んな人に気遣いできる人って印象だったからね、最後の最後まで番組の空気を読んで気を使った結果があの最後のローズセレモニーになってしまったんだろうなって。
あと、結婚と恋愛する人は違うって考える人もいるけど、バチェラー3をみてきて、結婚と恋愛とは別なんかじゃなくて、どちらも一緒にいて楽しめるひとが理想っ考える人もいるんだよなぁってつくづく感じたよ。
友永さんは番組終えて、結局岩間さんの元へアプローチに行ったでしょ、結婚も恋愛もしたいって思える女性が岩間さんだったんだろうね、ちゃんとそんな女性を選びたかったんだと思うよ。

彼女といる時の彼はずっと恋してる顔だったからね。恋愛してたよね、だから一緒にいられる一瞬一瞬が本当に嬉しそうで、この先も一緒に居たいから結婚したいとも思ったんだと思う。それが観てて伝わってきたもんね。
最終回を終えて、視聴者からの友永さんへの意見はクズとか最低とかほんと散々な言われようだけど…よく考えてみてよ、色々悩んだ挙句に結局男性が自分のところに戻ってきて自分が選ばれたらやっぱり嬉しいよね?ほかの女性をふってまでね、そんなことしたら酷い男って言われるの分かっていて、それを覚悟で、自分のところに来てくれて自分を選んでくれるなんて、最高にドラマチックな展開だし、自分がその主人公である女性になれたら、女としてはドヤってなれるくらいの栄誉じゃないかな。

色んなものを巻き込んで、色んな気持ちを巻き込んで、優柔不断な恋の駆け引きで愛確かめ合った末にやっぱり惹かれ合って結ばれる…そんな恋愛をやってのけて最終回に登場した2人をみて、恋愛ってこんなものじゃないかな、誰かに遠慮する必要もないし、哀れみで恋愛するのも失礼だし、だったら最後のローズセレモニーで本命がいるのに他の子を選ぶなよ!って事にはなるんだけど、色んなこと考えちゃったんだろうからね、それら全てをひっくるめてぜんぶやってのけて2人が幸せを掴んだとしたら、やっぱりお似合いの2人だったんだよなって。

最後に、様々な感想はあるとは思うけど、これぞリアルって結末を見せてもらって、私は逆にスカッとしたよ。誰かに賞賛されるために恋愛してるわけでもないんだし。番組の中でよくそこを正直にさらけ出したなと。批判も覚悟だったと思うんだよね。

その後も、あの衝撃的な結末は色んな意味で話題になってネットを賑わせたんだから、結果バチェラー3は番組としては面白かったんだと思う。出演者の皆さん、そして友永さん、楽しませてくれてありがとう。
シーズン4も楽しみにしています!

フィフィの骨折日記4

10月7日 今日は2回目の理学療法士さんによるマッサージ。凝り固まった筋肉やむくみをほぐしてもらいました。ほんと痛気持ちいいんだけど、患部の筋肉もほぐしてもらった時だけ流石に少し痛かったけど、そのおかげでだいぶ足の曲げ伸ばしが出来て、ほんとは今日から松葉杖は一本でいいよと言われたんだけど、整形外科の先生には今度レントゲン撮る時まで二本で生活してといまれてしまった涙。明日出かけるのになぁ、なんか二本だと大袈裟なん感じて嫌なんだけどなぁ、でも先生の言うことは聞いとかないと、なんかあった時に、ほら言わんこっちゃない言われるだろうから、二本使います。

10月9日水曜日。今週初めには松葉杖一本でいいよと理学療法士さんには言われていたんだけども、主治医さんが一応明後日のレントゲンまで二本でいてねと、、なのでまだ二本で病院に来た。今日も超音波を当てて、包帯を巻き直して帰る。もう痛みもないし体重をかけてもいいらしいけど、まぁ、先生の言う通りにしてる。金曜にはもうシーネ取っていいよって良い報告をききたいなぁ。

今夜は枝豆入りの豆腐鶏つくねを作ったの。そろそろシーネが取れる頃だと思うけど筋肉が痩せると聞いてるので、なるべく高タンパクのメニューにしてみました。

10月10日もう患部は全然痛まないです。ちなみに外出時はシーネが見えないようにザックリした服しか着れませんでした。そして病院行くときは診察や包帯巻く時に脚をあげるのでダブダブのロングパンツしか履けませんでした。ダブダブした服があると助かると思いますよ。

10月11日ひと月もシーネを付けてたらシャワーもできなくて、もちろんほぼ毎日病院で超音波あてていて、その時外すからその度にちゃんとあったかい濡れタオルで拭いてもらってはいたけど、流石にムダ毛処理もできないので、脚が若干お猿さん。それがちょと恥ずかしいのよね。さて、病院に!今日はいよいよ3度目のレントゲン撮影。シーネが取れるかな。

理学療法士さんにマッサージしていただいた後、レントゲン撮影、だいたいくっついてきたのでもうシーネを外していいよとのこと、やったー!と声が出てしまいました。

シーネを終わらせてこのようなサポーターをつけました。多分2週間ほどつけるそうです。分かりやすく裸足に付けましたが、これつけるときはやや長めの靴下を履いてねと言われました。これ自費だと高いです。ちゃんと保険で下りて後日振込で帰ってきますので役所にちゃんと申請しておきましょう。




やっとシーネも外れたんだけど、まだ杖は一応使っておいてと言われ、今度は片方だけ、肘で支えるタイプの杖に変えました。これも2週間ほど使うことになりそうです。ちなみに部屋の中では使っていません。
ウチでは自分でマッサージしたりなるべく足を動かし筋肉をほぐすようにしてくださいと言われました。

寝る前はサポーターを外すんですけど、相当むくんでいて、こんなにサポーターの跡が…

炎症やむくみを抑えるためにもこれを1日に3、4回は患部に塗り込みます。台風19号が近づいています。この1ヶ月、怪我してなかなか細かいところまで掃除できなかったので、おうちでずっと掃除しています。



10月13日、まずは台風19号で命を落とされた方々のご冥福をお祈りいたします。また被災された方々に1日でも早く平穏な生活が戻ってくることを願っています。
今日は怪我をして以来、初めてスニーカーを履いてみました。サポーターしたままなのでかなり緩めてグィッと入れないと履きにくかったです。多分他の靴は履けそうにないです。スニーカーは緩めたりと調整ができますからね。ウチの隣のコンビニまで行きましたが、台風の影響で品薄、ほとんど売り切れでした。

シーネが取れるとお風呂に入るのが楽しい♪今までは動かしてはダメですよと言われていた足ですが、シーネが取れたら逆に足は動かしたりマッサージをして筋肉をほぐしていかなければいけません。つまりリハビリです。歩き回るとかではないですよ、バランスを崩してまた捻ったりすればせっかく治ってきているのに台無しです。特にお風呂の際は湯船の中で足先を反らせたり丸めたりの運動をどんどんするようにと言われました。お風呂でた後に撮った画像です。このような動きです、参考にしてください。

ちなみに私が怪我している足のサポーターの下に履いてるロングソックスはストッキングよりは厚いけど、通常のソックスよりは薄いタイプで、滑り止めが付いてます。この花柄のが滑り止め。ツルツルの床を歩いてても安心です。

10月17日剥離骨折してからひと月と2日経ちます。どんどん体重をかけ歩くことに慣れてくださいと言われています。ただ捻らないように、不安定ならば片方杖を使って歩くと良いでしょう。
画像を見てわかるように黒タイツなのでサポーターが目立たない、これはこれで人からみて怪我してると分かりにくいので、のろのろ歩いてると思われ人混みでは押されたりするんですよね、そういった意味では危険なので杖を持ったり、またサポーターが目立つような装いの方が安全かもしれませんね。

まだリハビリや病院通いは続きますが、ここからは完治の長さは人それぞれと思います。ただ約4〜5週間で何とか仕事や通常の生活が取り戻せたという感じです。

骨折して思ったこと、骨折直後に多くの人の骨折ブログを、読みました。だから私もこうしてブログに綴ってひとりでも多くの方が安心してくれればと思い経過を記録し、そして公表しようと思いました。怪我した足での生活は本当に不便でした、また助けてくれる人もいれば、邪魔だとばかりに身体を当ててくる人もいました。バリアフリーの大切さも痛感しました。
そして何より自分の身体を労わり大事にすることの重要性を何度も思い知らされました。いくつになっても健康でいたい、そんな気持ちになり、自分自身と向き合いました。
前向きに捉えたならこのひと月は無駄では無かったです。周りに身体の不自由な方がいたら皆さん、ぜひ手を差し伸べて助けてあげて下さい、困っている人には声をかけてあげて下さい。自分が怪我してみて、改めてそんなことに気づかされました。
ヒール👠はしばらく履けないけど、また歩けることに感謝と喜びを感じて、今日も明日も頑張ります。長いブログを、読んで下さってありがとうございました!


フィフィの骨折日記3


9月30日骨折17日目、2回目のレントゲンを撮りました。ササクレのように折れていた骨が本体の骨に寄ってます。経過は良好だそうで、あと10日で松葉杖無しで歩いて良いそうです。その際にはシーネではなくてもっとコンパクトな固定するサポーターのようなものに変えるかもと言われました。良かった。次から医学療法師さんにかかって歩く練習も始めます。どうしても筋肉が固まってしまって初めのうちはうまく歩けなくなるそうです。


うどんを送ってもらったので、お夜食にうどんを作った♪とにかくそんな時は頂き物が助かる、しかもささっと作れて美味しいから有難い。


骨折18日目、今夜は手羽元と野菜を煮込んだだけのスープ、使ったのはエジプトのクノールが出している野菜エキスだけで作ったベジタブルブイヨン、これにエジプトのスパイス(スパイスミックスとジンジャーを入れました。)で手間いらずなのに本格的な味に仕上がりに♪こゆ煮込み系は付きっきり料理では無いので足に負担がかからないからいいですよね!


骨折19日目、今日は理学療法士の運動療法にかかった。凝り固まった筋肉をほぐし、シーネが取れた時に歩きやすくなる様にするためのもの。3週間も使っていない筋肉がこうも固まるんだなと、思い通りに動かなくなるんだなと。それでも動かせる指先は日々動かしていたので、まだそこまで酷く固まってなかったらしい。そしてぐいぐいほぐすためにいろんな箇所を押されるんだけど、それがまた相当凝ったところをほぐしてる感覚で痛気持ちよかった。週に1、2回は行うことになりそうです。あと、もう体重も半分はかけていいって言われました。半分とは垂直に松葉杖で立つくらいってこと、まだ捻ったりの運動は禁止です。


昨日の手羽元がまだ冷蔵庫に余ってたのでこれに大根と玉ねぎで和風ホワイトシチューを作った。歩けないのでネットスーパーを使ってるんだけど、そうするとなかなか多くの食材を揃えられなかったりするので、おうちにあった大根を入れたんだけど大根もホワイトシチューには合いますよ。とにかく食材をうまく使って乗り切るしかありません笑


10月3日今日は総理官邸で菅官房長官にお会いしました。松葉杖の私の足をみて、早く治してくださいよ〜と声をかけて頂きました。

10月4日今日は午前中までの雨が上がったので夕方に整形外科へ、超音波をあてに来た。雨の移動はできないので、雨の少ない最近の天気は松葉杖移動の私には助かる。今日からは梶井基次郎の「檸檬」を読んでる。20分間の超音波には読み切りサイズの短編集が丁度いい。

ランチはママからもらったナッツでグリーンサラダでした♪卵とキュウリとアボカドをレタスと混ぜてコブサラダドレッシングとブラックペッパーで仕上げる。クルミは砕き易い。ナッツの歯ごたえがたまらない♡このサラダが大好きだからこれだけでも苦にならない。短時間で作れるので骨折中はサラダランチがおススメ!チキンを加えるのもいいと思う。


10月5日今日はとても晴れた土曜だけど整形外科に超音波だけ当てに行って、帰り道にある小さなスーパーに行って戻ってきた。予定だとバーベキューがあったんだけど、行けるわけないので、そしておうちでラグビーのサモア戦を観戦しながら、ようやく松葉杖無しで立つことはいいと言われてるので少し料理を楽しんだ。昼は讃岐うどんで釜揚げうどん、夜はイカスミが練りこんであるスパゲティでニンニクとオリーブのトマトソースのパスタ、どちらも本当に美味しかった。


そしてこれはオススメ、焼きとりの缶詰をサラダに使うとドレッシングも要らないし、食べ応えあるサラダが簡単に作れるよ!



フィフィの骨折日記2


9月20日、骨折6日目。息子のお弁当もなんとか身体を支えながら作ってます。夕飯の残りや冷凍のおかずも助かります。そういえば昨夜から立ち上がる時や寝起き、寝るときもづきづき痛む、同じように骨折ブログを書いてる人も6日目あたりから痛むと記してた、血の巡りのせいだと書いてたけど、どうなんだろう。無理して家事なんかで動きすぎたかな、心配…。

患部に超音波をあてると治りが早くなるらしく?今日も近くの形成外科へ。前に捻挫した時に使っていたカバーを履かせてきたけど、これやや底が厚いので衝撃が和らぐからかなり歩きやすくなる。もちろんまだ松葉杖二本で移動、何かあってはマズイので、焦らず慎重に。


病院内で携帯は控えないとなので読書をして待ち時間を過ごす。昔読んで衝撃を受けたカフカの「変身」を持ってきた。やっぱこの小説好き♡それにしても無理して家事なんかをしてうちの中で動いていたせいか腫れが引かない、風邪を引いてるせいもあるかも。免疫が弱くなると身体の一番弱ってる箇所に影響するらしい。だから痛むし…

病院の帰りにおうちの隣のコンビニに寄った。骨折して以来のコンビニ。買った商品はリュックの中に。松葉杖だからリュックが楽だね。

9月22日、ランチなんかは茹でたパスタに混ぜるだけのがほんと助かる。明太スパに、奥にあるのはなめ茸の味噌汁ね。10分で出来る。

9月23日骨折10日目、アイシングの繰り返しでようやく腫れが引いてきたとは思うけど、シーネからチラッと見える足の色が褐色がかった紫なのでだいぶ内出血で変色してるんだろーなとは思う。脚を心臓より高い位置に置いておくと足先の色も血色が良くなる。だからそれを気をつけてる。痛みもだいぶ落ち着いてきた。まだ風邪は治ってないかな、熱はないけど喉が痛い。扁桃炎だったのかもしれない。これが治れば足も良くなってくると思ってる。で、夕飯は炊き込みご飯のおにぎりとか卵焼き、味噌汁なんかにした。これまた簡単に作れる。シンプルだけど美味しいもんね。


9月24日腫れは5分の3くらいは治った感じですが、まだ痛みもあるし、あと内出血がなんか痛々しく見えますよね。負傷した直後の対処が如何に大切なのか思い知らされました。扁桃炎がまたぶり返してなんか喉の痛みが治まらないので、この後別の病院へ、耳鼻咽喉科に係りました。

これまた今夜も手早く出来る焼肉にした。育ち盛りの息子がいるので、なるべく作ってあげたい。極力長くキッチンに立たない様な献立を毎日考えてます。



9月25日 今夜も15分で出来るピーマンの肉詰め♪はま寿司のテイクアウトでついてくる甘だれを使えばタレを作る手間が省けます。極力足への負担を抑えて息子のためにもなるべく毎日手作りごはん。



9月27日、大阪で「そこまで言って委員会」の収録、なんとか新幹線駅まで、なんと松葉杖二本で電車に乗ってきました。新幹線の中ではなるべく足を少しでも高い位置に置くようにとのこと。メイク前だけどマスクしてると、まぁまぁ可愛くみえるね。

収録でシーネが目立たないように黒のスパッツを膝下まで切ったものをかぶせて、そして床をするくらいのワイドパンツを履きました。ほんと目立たない。仕事の時だけはシーネカバーを外してこのスタイルでスタジオ収録に挑みました♪


9月28日今日は品川のホテルでトークショーで行き帰り送迎があったので移動が楽でしたが、会場では挨拶をしたりで動きもあって松葉杖が手放せないお仕事でした。なるべく患部の包帯が目立たないように今日もワイドパンツの衣装でした。


9月29日今日は世田谷のTMCスタジオで特番の収録です。3つの電車を松葉杖二本で乗り継いでなんとか成城学園前駅へそこからはタクシーで移動しました。日曜だったので普段は通勤時間帯でごった返してるんですけど、幸い人も少なくて安心しました。
楽屋は和室でしたが、座椅子が用意されていたので助かりました。帰りはスタジオからウチまで配送が出たので助かりました。3日間ずっと移動でお仕事、、、今夜は早い時間に寝てしまいそうです。

フィフィの骨折日記



9月14日転倒した、足の甲を過去二回ヒビをやっているのでまた同じ症状かと思ったが、三連休初日のため病院が開いていないのでうちで安静にしていた。

みるみるうちに腫れが広がる
次の日も病院は休み、それでも腫れがひどいので夜に救急外来で診察してもらう



腓骨骨折との診断、ズレてはいないので手術はしなくても良いということで、なんとか入院は免れた。





しかししばらく松葉杖生活を送らなくては行けない。あとマンションには階段もあるから移動が想像を絶するほど困難だった。うまく松葉杖が使えない、また階段で転んだら手術は避けられない、てことで階段は腰を下ろし、お尻をついたまま一段一段降りた。





9月16日骨折3日目、使わない筋肉や腰が痛むのでウチにあるマッサージ機を当てて和らげる。あと暇なので骨折してる人にはありがたいリラックスマキシワンピをついつい検索、そして今日から部屋の中は松葉杖だけでなく、息子のゴロゴロがついてるデスクチェアで移動、車いすみたいに少し楽に移動できるのでおススメ。あと、西友のネットスーパーで食材を注文。五千円以上の注文で配送料無料。明日届くので助かる。妊婦時に使って以来。今日は少しずつ家事もこなす。いろんな箇所で身体を手で支えながら料理もなんとかしてる。洗濯を干す時だけ息子にお願いしてる。うちの洗濯機の乾燥機があまりうまく乾かないので干すしかない。


9月17日骨折4日目、骨折して以来初めてのシャワーあー幸せ♪まだ暑い日もあるし、松葉杖必死で使いこなしたり、汗かいて気持ち悪かったから、髪の毛も洗った。ゴミ袋二枚重ねで、骨折した右脚をバスタブにかけて水に濡らさないように遠ざけなんとか全身と髪を洗った。終わって滑って転倒しないように、必ずバスマットの上でゆっくりタオルで拭いた。

今夜は早速ネットスーパーで購入したお手頃価格のおでん種でおでんを作った。煮込む系ならあんまり動かないで調理できるから。右脚だけで立ちっぱなしだと辛い、でも左足に重心はかけられないので、いいこと思いついた、何箱かセットで売ってる箱ティッシュを自分の欲しい高さにして、ビニールついたまま怪我した足置きにした、これなら多少力入ってもいい具合に少し潰れてくれるから、痛く無い。しかもビニールついたままで使うことで床でうまく滑ってくれるからキッチンで移動するくらいならちょうど上手く動ける。おススメ。

9月18日月末に仕事が続けて入ってるのでなんだかもっと後に診察に行こうと思ったが、包帯が緩くなったし、もっとコンパクトなシーネにしてもらいたくて、しかも昼過ぎから雨予報だし、慌てて近くの整形外科に紹介状を持って来た、普通に歩けば2分半、10分弱かけて松葉杖で来た。大変だったのはマンションの長い階段、松葉杖だと不安なのでお尻をつきながら登った、幸い管理人さんと遭遇、見守ってもらいながら登った。かなり心配された。ウチは中3の息子しかない、もちろん学校、頼れる同居人がいないと一人ぼっちで対応しなきゃならなくて、ほんとそれがつらい。あと仕事のことが心配で頭いっぱい、仕事をこなせるのだろうか。まだマネージャーに話してない…。

元々足が大きい方なので分かりにくいかもだけど、骨折直後の対応が遅かったのと、足を浮かせて家事なんかして動きすぎてるせいで腫れが引いてませんと言われた…

流石専門医ですね。今日は超音波当てて、アイシングもして、歩きやすいシーネに作り変えてもらいました。そしたらあら不思議、松葉杖二本でぴょんぴょん跳ねながら無駄な腕力使って汗だくに移動していたけど、体重かけない程度に左足を着いて歩けるように!だから松葉杖も一本で歩けるし、階段も上り下りできるように。救急でもらった痛み止めも痛いときに飲んでとか言われててあまり飲んでなかったけど、あれは炎症を抑える効果もあるから食後の度に飲むようにとアドバイスされた。
そして病院いる時も、なんでこんなときに限って仕事がポンポン入ってくるんだろう、不安で仕方なかったけど、意を決してマネージャーに骨折した事を伝えた。ただ少し楽に歩けるようにもなったので、気持ちが楽になったし、仕事のスケジュールは変更なしで、先方に迷惑かけないようになんとか自力で乗り越えようと決めた!落ち込んでても仕方ない!病院もなるべく毎日でも通いなさいと言われたので早く治すために通う、、しかし、さっきは雨降ってきたから歩いて2分半の距離をタクシーで戻ってきた。仕方ないね。
つくづく自分が情けなくなり、自分の身体を労われなかったこと後悔してる。

とにかくうちにいる時は必要以上にに歩かないこと、心臓より高い位置に、足首を伸ばさないように置いておくこと、足首伸ばした状態で骨や筋肉が固まるとリハビリに時間がかかるし、後遺症が残る恐れがあるから、あと、晴れてる場合はこまめに保冷剤をネットに入れてシーネの上からアイシングするようにとのこと。言われた通りにしてる。


9月19日今日は折れたところが痛むから心配だなぁ、歩きすぎたかなぁ、部屋の中でだけだけど。そして部屋の中の移動にも便利だし受験生の中3の息子が欲しがってたので、増税前にゲーミングチェアを買って、それが今日届いた。組み立てるのに1時間くらい息子が悪戦苦闘してた。説明書が雑。なんとか完成。息子がいない間は使わせてもらおう。
今夜のご飯もなんとか作った。焼くだけのシャケの西京焼きと味噌汁、15分くらいで支度できるから負担が少なかった。ちなみに昨夜は生麺の醤油ラーメンに
肉と野菜を乗っけて食べた、これまた簡単。朝も息子のお弁当作ってるよ、今朝はタマゴサンドと唐揚げだった。頑張りすぎると悪化するのでほどほどに、息子を送り出したら昼頃まで横になってます。

今の仕事について…

コメンテーターとして、歯に衣着せぬ発言で知られるフィフィが、若手芸人の登竜門番組『東京オーディション(仮)』(TOKYO MX)のワンコーナー「ネイティブキャンプ」に登場した。

エジプトから日本に移住したのが2歳。大学を卒業し、帰国後、カラオケ会社に就職するも、タレントとして活動を始めた。 

「コメンテーターの仕事をしていると、国際情勢に敏感でいなきゃいけないと思うんです。いろんな国の情勢を聞くには、その土地に住んでいる人に聞くのが一番いいですよね。

 だから、英語は重要なんですけど……留学でフロリダとニューヨークにいましたが、文法は完璧でも日常的な英会話は全然ダメでしたね。

  見た目から、英語ができて当たり前と見られることも多いですが、日本で暮らした年数のほうが多いので、英語やアラビア語ではなく、日本語で育ったんです。

  留学先では、完璧な文法よりコミュニケーションを求められることの方が多かったです。発音なんて気にせず、言いたいことを言えばいいんです」

  やはり、英語と離れた生活をすると、とっさに使いたい英語が出ないこともあるという。それでは、コメンテーターとしての仕事はどう考えているのだろうか。

 「じつは、一昨年までお笑い班にいたんです。今はコメンテーターとして出ていることが多いですが、最初はどうしても『フィフィ』というキャラクターを確立させるため、ある程度過激な発言は必要だと考えていました。どんどんコメントして、爪痕残してインパクト与えなきゃって。

  バラエティタレントからコメンテーターになったら、何か言ってくれるんじゃないかと期待されるじゃないですか。自分が表に出て発言するわけだから、いろんな人から自分に対して厳しい意見があって。心に余裕があればいいですけど、どうしても傷ついたり凹んだりしちゃいますよね。

  でも、考え方を変えて、『朝早くから文句を言う人も気にしてくれてありがとう』って思うようにしたんです。この仕事は、何も思われないのが一番残念だと思っていて。

 嫌いだの言われても、その人の記憶に残っていることだけでもよしとしなきゃと。それでも応援してくれる人がいると信じて。文句を言いながらもフォローしてくれる人もいるので、ありがたいと思っています」

 所属事務所でもあるサンミュージックが去年50周年を迎えた。フィフィにとって事務所との関係はどのようなものなのか。

「サンミュージックは社長が『ファミリー』だと常日頃から言っていて、家族のような温かさがあるんです。社長室の前を通って『社長!』って声をかけると、『入っておいで』と、迎え入れて一緒に写真を撮ったり。
 

 社長が現場に来てくれることもあって、『いつもご迷惑かけてすみません』って謝ったら、『フィフィみたいなタレントがいてもいいんだよ』と言ってくれたのが一番嬉しかったです」  

  芸能界で生き残るためにも、しゃべり方や表現の仕方を勉強することが重要だと考えている。ただ過激なことを言って誰かを攻撃するだけでは、未来がないこともわかっている。

「私は、人間だし失敗してもいいと思うんです。いろいろと失敗しながら思ったのは、失敗は誰にでもある。その失敗を素直に認めて次に進んでいく姿が一番大事だと思うんです。
 

 下手に隠したり繕ったりしないで、人の失敗を見て学ばなきゃいけないですよね。  

 私も親として、子供にはある程度自由にやらせてあげて、もし何か失敗したり助言を求めてきたときは、こうしたらいいと決めつけるのではなく、一緒に考えるようにしています。  

 それが子供の成長だけではなく、親として成長させてくれているんだと、感謝しながらの毎日です」

2019年8月24日掲載のFlashインタビュー記事よりhttps://smart-flash.publication.network/amp/b8ddcd8cb6af05a7f1d4108e03f67146eb61944a187acccfd936908345e775e1?__twitter_impression=true


なぜフィフィは意見するのか〜インタビュー記事より

テレビで頻繁に顔を見るわけではない。しかし、ネット上では毎日のようにその名前が流れ、その発言が話題となる。今の時代らしい存在感を放っている異色のタレントといえば、彼女かもしれない。タレント・フィフィだ。

2005年に芸能活動を始めた当初は“面白外国人”としてバラエティー番組を賑わし、その気さくなキャラクターと歯に衣着せぬ物言いが支持を集めた。エジプト人の両親を持つ外見から生粋の外国人と思われがちだが、2歳から名古屋で育った。国籍はエジプトだが、むしろ“日本人”としての生活感覚が染みついている。
「名古屋に25年住んでたから『ケンミンSHOW』に呼ばれてもいいくらいなんだけど(笑)。日本のことちゃんと知るんだったら首都に一度は住まないと、と思って、結婚と同時に上京したらテレビに出ることになって。派手な顔立ちだからすぐに顔が割れちゃって、すごく恥ずかしかった。私、本当に普通の庶民だから」

ツイッターフォロワー数は23万5000人(2019年8月現在は約42万7千フォロワー)を超え、デビュー年の2005年から書き綴るブログの内容は、公開直後にメディアが引用記事として拡散するということが頻繁に起こる。そして、それらのタイトルに踊るのは、「苦言」「非難」「一喝」「疑問」といった用語だ。取り上げる題材は、ワイドショーで話題になる社会問題から、芸能、スポーツ、そして国内外の政治。彼女は何にも恐れず、「これっておかしくない?」というストレートな疑問を放つ。

なぜ彼女はネットで“怒る”のか。本人はネットで発信する活動に込めた思いを語り始めた。
「私、もともとジャーナリストになりたかったんですよ。日記を毎日欠かさないほど文章が好きな子どもだったし、10代から『Newsweek』や『TIME』を読んで、勝手に記事の感想文を書くのが趣味だった。実は大学3年の時に『AERA』の学生向けの記者セミナーに参加したこともあるの。“右寄り”なんて言われている私が朝日の記者になっていたかもっていう話(笑)」
その後、アメリカに留学。そこで徹底的にディベート教育を叩きこまれた。
「留学以降は意見を言う体質がますます磨かれた感じ。テレビでは面白外国人として期待されていた期間が長かったけど、ずっとうずうずしていたんです。だから、ブログやツイッターみたいなSNSのツールが出てきた時はうれしかったですよ。やっと言える!って」

転機は2011年初め、母国エジプトで起きた「アラブの春」について4回に渡って長文で私見を綴ったブログだった。当時はまだ政治や社会について発言するタレントはほとんどおらず、現政権を批判する姿勢に「引退覚悟で書いた」とまで報じたメディアもあった。その直後に東日本大震災が発生。タレントがその存在意義を問われる空気が広がり、社会について発言することは自然と受け入れられるようになっていった。ここまで”攻めた”発言ができるのには所属するサンミュージックという事務所の存在も大きかった。
「サンミュージックは本当にタレントの自由を尊重してくれるから。年初にベッキーさんの件が起きた時も、あれだけの稼ぎ頭のタレントさんでもプライベートはきちんと確保されていたんだなと思って『うちの事務所、マジで自由だ』と感心したくらい。私の発言もすべて放任してくれていることはありがたいですね」
とは言え、自由な発言ばかり続けていたことにいついて、一度、社長に頭を下げたこともあった。「その時に社長が『こういうタレントがいてもいいんだよ』と返って。もちろん、自由には責任が伴うもので、その重さを感じることはよくありますよ」

フィフィ本人が今、感じている重圧。それは自らの発言が“影響力”があるとされ、時に“メディア”の役割まで背負わされてしまうことだ。
「私は感想文を書いていた延長で、感じたことを言ってきただけ。ただの“意見”なんです。日本人が中東のことを知りたいというニーズには応えたいから、頼まれたり必要を感じたりしたら、現地のメディアも含めて右も左も読んで調べて自分なりの言葉で書きますよ。中立性を謳うメディアはむしろ重視せずに、主張が明確なメディアを複数比較する感じかな。それでもあくまで私の意見。なのに『フィフィが言っていることは違う』って叩かれたりする」
だからこそ日本人に危機感を感じている。
「ある発言をどういう人がどういう背景で語ったのかを読み取って咀嚼できる力、つまり、メディアリテラシーがこれからの時代に絶対必要なはずなんだけど、日本ではほとんど育っていないですよね。私はニュースではなくて、ただの庶民なのに過大な期待を背負っているな、と感じることは多いですね」
戸惑いながらも、“物言うタレント”をやめられないフィフィ。タレントという存在の価値の行く末を案じるゆえでもある。

「昔は皆同じものをテレビで観て楽しんでいたけれど、今は視聴者のニーズが多様化、個別化、細分化してきて、タレントがテレビで稼げる時代は終わりつつあるんですよ。うちの10歳の息子なんて、気に入ったユーチューバーの映像ばかり観ているし。規制のないネット上でより思い切ったことができる“匿名のタレント”と、私たちは戦っていかなければいけない。かといってネットの活動にはほとんどお金がつかないからとても食べていけない。本当にシビアですよ。グルッと一巡して、タレント個人が生身で勝負していくしかないのかもしれないと私は思っています」

淡々と語るその目線はどこまでも冷静だ。
「足りていないんですよ、私もまだまだ。“意見を言う力”ではある程度評価されているかもしれないけれど、他人の意見を聞く力が圧倒的に足りない。90歳くらいのばあちゃんと話すとその包容力に感動しますもん(笑)。そして他人を受け入れた後に放つ言葉はすごく重みがある。私もばあちゃんレベルに到達できるよう精進します。まだまだ言いたいことはたくさんあるから」

(2016年のインタビュー記事から ライター宮本恵理子/Yahoo!ニュース編集部)

CMに日本人を出せ!を発端に起きた騒動について、フィフィが思うこと。

私ね、差別するやつなんて放っておけばいいと思うの、何しても根本に排外思想があるから、どうやってでも差別すると思うの。
それが悪いのは前提として、そんなのどうでもいいけどポリシーがブレブレだったりするとね、例えば彼女の場合、中国の天安門の件でね批判された時、批判する中国人から日本人と勘違いされて批判されたんだと思ったのか、いちいちナショナリティーを自分から持ち出して釈明してね、でも日本で仕事をしてる時はその芸名から、日本人を利用してるように見られてるわけでしょ?私は私らしく、偏見のないというなら、本来の名前で活動する方が誤解がなかったと思うの。

私は韓国語を勉強したし韓国に18回行ってるからね、水原が韓国の地名と知ってる、在日韓国人のお友達もたくさんいる、偏見もない。母親のバックグラウンドである、その想い入れのある名前なのかなって推測した。でも日本人の中にはそれを知らなくてね、日本の名前をどうして使うの?って思う人もいる。
実際以前は本来のアメリカ人である父親の名前にちなんだネーミングで活動してたわけでしょ?過去になんらかの問題があったからか何かわからないけども、活動停止して再始動した頃から新たな芸名に変えたのよね?事務所の意向かもだけど。
あの中国への謝罪動画も事務所の意向かもだけど。でも私は私らしくとポリシーを貫きたいなら、自分の意向で活動したらいいと思うの。本来の名前なら、日本を利用してる!なんて勘違いする人たちに非難されなかっただろうし。まぁ、そう言ってる人がおかしいのはあるけど。リスク回避って言う意味でね。

例えばあの謝罪動画も日本人からしたら気分のいいものじゃないし、彼女の活動の中には畳の上を土足で撮影したり、それを理由に応援したくなくなる人が出てきたのかもしれない。でも、それが自分らしさというなら、それを貫いたらいい。それでもたくさん今だってお仕事きてるしそのスタイルが好きって人もいる。応援してる人もいる。この仕事は人気商売だけど、それを嫌って攻撃してくる連中も少なからずいるわけで、それを差別だー!はちょっと違うかな。

私が私らしくというなら、最低限 他の文化は尊重するという姿勢の上でポリシーを貫くべきで、火をつけておいて攻撃されたら騒ぐのはマッチポンプだよね。フランスの出版社襲撃の背景と似てるなと感じた、挑発しておいて被害にあった時、人種問題と騒ぐのはまた違うかな。もちろんそう言いたい心境も十分理解するけどね。

例えば、アラブっぽい顔で、アラブ人かもと見られやすい芸能人が日本にいたとして、どんな芸名で活動しようが自由なんだけどね、批判されるようなお行儀悪い行動は慎んでほしいと思うもんね。私たちアラブ人がステレオタイプと見られたくないから。そう見る人に問題があるのは承知だけど、紛らわしくアラブの看板みたいなのを引っさげて活動するならその行動は誤解を受けないよう注意してほしい。
今回の問題でCMに日本人を出せ!って言ってる人は間違ってる、本当に。だけど、彼女の姿勢は常に賛同できるものとは言い難かった。

彼女のこれまでの行動にしても同胞意識に近いシンパ感じる方々が右習えで擁護するけど、まず、日本に対してのあの発言と行動をした時点で愛があるなら諭してあげるべきだったよね。日本に活動してるなら、そこは自分のスタイルだっとしても、配慮すべきだったね。それでも貫くのなら、それで非難されても、差別だと騒ぐべきではないのかもしれない。彼女のためを思うならね、そこをちゃんと諭すべきだと思ったのよ。
これは私見もあるけど、ここまで騒動が大きくなった背景に何があったのか考察した上であくまで客観的に解説してるの私はね。
私におかしいと意見を言うなら、それ以前に、彼女のいくつかの行動もおかしいと意見するべきと思うし、でもね、それでも状況によって色んなとこにいい顔したりするわけでなく、その姿勢を貫くなら、それこそ彼女の言う、私は私らしくこれからも生きる!という意味なのかなとは思うの。
ただ、今回のは、そうじゃなかったように思う。果たして彼女はそれをこれまで貫いてきたのかな。でも、もちろん今後の彼女を見て生きたいと思う。私が私らしくという生き方に興味があるから。

ちなみに私は本名では活動してないけど、それは私が芸能人として、この日本で差別撲滅とか、私が私らしく活動しようなんて思ってなくてね、フィフィをまた別の顔で演じてるから。私はいくつもの顔があるからね。フィフィは矢面に立ってよく頑張ってくれてる。彼女のおかげで、また本当の自分が守られて生きてるとも実感する。
ただフィフィとしては絶対的なポリシーはあるけどね。もし私がナショナリティ云々持ち出して、日本を偏見のない社会へ!私は私らしく!と声をあげて活動するなら私の全てをさらけ出す方が素敵で賛同してくれる人も多いと思うと、その意味で本名で活動した方が誤解もないし賛同者も増えると思うから素敵だと思うよってツイートしたのね、とてもいろんな意味で解釈されてしまってネットでは議論が繰り広げられたけどね。
芸名使ってる他の芸能人には同じ事を言わないの?なんてことも聞かれたけど、例えば、差別撲滅掲げて活動している芸能人が他にもいるなら私はどの国籍だろうが同じ事をコメントしてるね。

今回はコメントが大きく取り上げられ、皆さんがネットで議論してね、でもそれでいいと思う、その先が良くなるのならね。社会が変わるならね。
でも、人種とかナショナリティが絡むと腫れ物に触るようにメディアも取り上げないでしょ、もっと話し合えばいいテーマなのに。きっと、ディベートがうまく成立しなくて、結局 罵り合うだけになるからなんだろうね。
いろんな意見があって当たり前なのにね、もっと、もっと、議論したらいい、それこそ差別に敏感なマスコミはこれを積極的に取り上げて議論したらいいのにね。

久々に更新するワケ

長くブログを放置していたのは、パスワードが分からなかったからで、解決しましたので、また定期的に更新しますね。
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