実は先日実家のわんこのランディが

残り少ない余命宣告をされました。

いつか来る事とはわかっていて、覚悟してたけど

正直15年も生きている弟の事を受け入れられなくて。きっと自分の心の整理をつけたいが為にパスワードを再発行してまでこんなところに書いています。


今は本当は歩けない程の腎臓と肝臓の数値なのに必死に健康ぶって振るまってくれています。

脳や骨はまだ大丈夫なので、家族にはいつもの老犬のそぶりを見せます。


地元での興行が決まった時、家族で

「ランディも受付に居られたら良いね!でもヨボヨボだから迷惑かな?!まぁあり得ないけどね!」なんて話してたのに、おそらく87日の試合にはランディは受け付けには居なくて、会場からでも自宅からでもない特等席から見守ってくれてるんだと思います。


もう昔の事となりますが、わたしが渡米したのが2007年の87日。ランディと出会ったのはその次の日の88日。引っ越してまだ荷物も届いてない状態で我が家に子犬のコーギーが来たのは渡米を拒絶していた私が父に渡米をする条件として「すぐ犬を飼ってくれたら良い」と言ったから。早速その約束を果たせと父に駄々をこねた結果アメリカに引っ越して次の日にもう弟が来てくれました。弟であり、海外で初めて出来た親友です。


私が住んでいたアメリカの田舎では人種差別があったり日本人として孤独を感じることもあったし英語が話せなかった私は毎日苦痛な思いをすることが多かったです。でもそれでも最後まで頑張れたのは家族のおかげだったし、私を叱ることなく、馬鹿にすることなく、私の解釈で甘えさせてくれるランディが居たからだと思います。それもこれも全部私ら人間達のエゴと言われたらそれまでなんですけどね。


ランディはその後アメリカから日本に一緒に来て、実家のある湘南台での暮らしが始まりました。大きな病気もせず、親バカも入っているかもしれないけど聞き分けのいい子で私たち家族を困らせる事があまりありませんでした。あったけど。


19歳で東京で一人暮らしを始めた私は寂しいとかよりワクワクが大きくてランディの事は少しそっちのけで実家を出ました。そこから実家に帰る時は自分が寂しくなった時とか、都合のいい時ばかりで。実家でゆっくり寝坊してる時にランディにボール遊びを促されて吠えられるとうるさいなーって、怒ったりもして。


いつかお別れがくる事なんて百も承知で迎え入れた家族だけど、帰れば当たり前に居ると思ってた存在でもあって。暇な時は遊んで、忙しい時は構ってあげられなくて、ザックという新しい子を引き受けて。本当に本当に私は自分勝手にランディを愛していたなとつくづく思う。本当にごめんね。


今回ランディの余命宣告を知ったのは母からの連絡でした。静岡に住む父、東京に住む私たち姉妹、でも母は一人でランディと一緒に実家にいて、その前からずっとランディの世話を尽くしてしていたのは母であって。私があの頃「自分で面倒見るから飼いたい」とはったりをかました時「一人じゃあ世話できないでしょ?どうせお母さんが面倒を見ることになるんだからワガママ言わないで」と言った母の預言は的中していた。


母は一人で様子が変わったランディに気づき病院に連れて行き、一人で獣医さんからのハッキリとした説明を淡々と受けたらしい。電話越しの母は泣いていたけど病院では泣かなかったという。だってランディのお母さんでもあるからしっかりしなきゃいけなかったし。と。


電話越しで声を振るわす母を感じて、昔から母は強しと言われているけどそれはそう思いたい私達の気持ちであって、どの母親も人の子で一人の人間だから母親になったから無条件に強い訳じゃないはず。きっとどの母親達も「母とは強し」というスローガンを掲げて精一杯誰かや何かを守るように奮い立たせていたんだと思った。「うちのお母さんは強い」これもまた私ら子供達のエゴ。泣きたい時に泣かせてあげられなくて本当にごめんと思った。もう少し時間はかかると思うけど、もっともっと頼りがいがある娘になるので、引かれていた手を私が引けるように頑張りますわ。


でもね今率直な気持ちを言うと、正直今実家に帰って愛犬に会いに行くのがすごく怖い。ちゃんと言うなら「またね」と言って実家を後にするのが1番怖い。もっと言うなら今悲しい母に会いに行ける自信がない。自分が泣かない自信もないし、元気に過ごせる自信もない。泣くことにより犬にすら心配かけちゃうじゃん。母親に対して申し訳なさを背負ってしまったり、悲しくて悲しくてずっと泣いてしまう自信しかない。


だけど人はきっとこんな悲しい事とか辛いことに立ち向かってまた更に強い人になれるのかなと思う心の中でちゃんと思っていて、私には少し勇気がないだけなのもわかっているし、今までだっていろんな辛いことがあったけど、ちゃんも全部立ち向かってきた。逃げた事は鬼ごっこと痴漢からしかない。

わかってるの。私は絶対最後たくさんのありがとうと感謝家族に、ランディにしっかり伝えられる。涙が出すぎたって声が枯れてもちゃんときっと伝えられる。わかってるけどただ涙が止まらなくて。



このあと引っ越しをしなきゃいけないし、やらなきゃいけない事が沢山あるし。人生レベルで言ったら大事なことも夢も目標もまだまだあって。


元々私はきっと、自信がなかったりコンプレックスを抱えた人たちに勇気を持ってもらったり、笑ってもらったりしたくてこの仕事を続けていて。人が払ってくれるのが嬉しいから辛いことも頑張ってきたつもりなんだけど、でもたまにはこんな事だってシェアしてみてもいいのかなって。


これが言いたいってことが特にあるわけでは無いけど、今私がみんなに伝えられるのは、泣きたい時はたくさん泣きましょう。泣かないように上を向くのはやめましょう。泣いて泣いて強くなる訳ではなさそうだけど、泣いて泣いても復活できるんだよきっと。みんなに伝えるふりをして自分自身に言い聞かせている部分もかなり多いけど。


自分の気持ちをうまく表せなくて怒りにして、僻みにして、SNSで誰かを攻撃する人、侮辱する人、そんなくだらないことを時間を割いて行うならそんな人を傷つけるためにその指を動かしてスマホタップするのじゃなくて、そのあなたの手や指を必要としている人に差し伸べてください。あなたが嫌いなあなたは誰かにとっては必要な存在だよ。もしかしたらそんな人があなたが自身を好きにさせてくれるかもしれないよ。自己嫌悪に陥って涙を流すのではなくて、誰かのためのうれし涙や誰かを想ってきれいな涙を流してください。もしそれもできないのであれば、自分の中の自分の思いは自分のブログに書きましょう。小説家を気取ってもいいんです。過去の自分のブログの記事が今の自分を癒してくれる時もあるよ。


人を傷つけなければ、誰かに迷惑かけなければ、この世の中は自由な選択肢が多いよ。


普段こういうこと言えないんだけど、私は日ごろから応援してくれてる皆に、そしてまだ知らない誰かに喜んでもらいたくて、笑ってもらいたくて、元気になって貰いたくてキラキラして欲しいから今も上福ゆきを辞めずに頑張れてる。だから応援してくれてありがとう。


おめでたいお話と

悲しい出来事があった報告と

引越し前夜の不思議な気持ちの夜でした。


そしてもう当分引っ越したくない