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人の才能に触れると
自分の能力の限界や未熟さと向き合うことになって
良い意味でも悪い意味でも今いる場所から動かざるを得なくなるんだけど
それが心地いいときとそうでない時があって
後者はきっと、その才能と自分の価値観がそぐわないときなんだと思う。
そもそも芸術をビジネスにすることは無謀なんじゃないか。視覚的な芸術はまだ良しとして、大半の人間が今の音楽業界を嘆いている。私も例外ではないです。
音楽の価値は人の価値であり、人の価値として音楽を買う。そこに音楽の質、精度、表現力、感性はどれほど関わってくるだろうか。音楽以外の付加価値、人気でどれほど左右されるだろうか。
「分島花音の音楽が好きです」と躊躇い無く他人に言える人がどれほどいるだろうか。私は音楽を作り音楽を届けることを主体としているけれど、こうしてアニメ作品の楽曲に携わる様になった今、私の名前には関わって来た人、作品、その為に産み出した曲、歌詞、全てのイメージでアップデートしていて、私自身でも予想しなかったイメージが一人歩きしている場合もあります。
やはり「音楽」では無く「人」。その楽曲や歌詞から人をイメージして、位置づける。それは私自身も、他の曲を聴いて無意識にやっていることかもしれない。
音楽には何度も絶望して、でも何度も諦めきれなくてまだ希望を探していて、
きっかけをくれたのがアニメソングで、そのきっかけで気づいてくれた人にも届けたいのが、私の心臓の音楽です。ツキナミという曲が出せたのも、私の音楽を見つけてくれた人たちのお陰。
心臓の音楽、ずっと作って来たし、今も作っているし、自分でいうのもあれなんだけどめちゃくちゃ良い曲だって信じてます。
アニメを見る人だけでなく、見ない人、もっと沢山の人を巻き込んで音楽を届けられたら最高だなあ。と、思ったりします。よくわからないけど、そういうときは凄くドキドキして悔しいって気持ちも混ざって賑やかで、こんなに本気に必死になってしまうのは見苦しいし恥ずかしいしバカみたいだしどうにかしたいんだけど、これが私の全てなんだなと痛感します。
近い将来、絶対にその曲を届けられる時がくるので、それ迄待っていてください。もちろん脳の音楽も、必要とされたときは全力で作るから、できればどっちも愛してほしいです。
そしてワンマンも絶対やります。必ず。

NEEEEEEEEEEEWWWWWW!!!!!!

希少性のある物に憧れてしまう。
本屋で鍵のついたショーケースに入っていた黒い八角形の古書を見た。
革の光沢を持ったハードカバーの上に『義眼のマドンナ』という銀色の箔が押され、中央には紫水晶がはめ込まれている。見ると3万程の値段が付けられていた。
美しかった。
小説自体は別の装丁でも出版されているものらしい。
この作品は手に取りやすくもあり、また見た目の美しさを着飾る為に誂えた衣を纏った別の姿を持っている。
いわゆる特装版というものだ。
芸術において大量生産はその価値を維持できているだろうか。
限定や希少性は価値を生むが、それは作品自体の芸術的価値に結びつく物だろうか。
けれども私は日常の中で幻を見るような、宝石を発掘したような芸術との邂逅が好きである。
音を売る職業にはそんな隠れるように佇む商売は似つかわしくないだろうし、
より多くの人に届けたいという気持ちに反している。
大量生産は決してその価値を落とすことはないが、包装までを手作業で行ったような芸術に対して魅力を感じるのも事実だ。
その本を見たとき、そんな事を考えて、希少性と大衆性の狭間で揺れ動いている自分に気がついた。
大衆を満足させる作品を作れる様になっても、幼い心を蘇らすような出会いを、決して受け入れ体制にない門を静かに開く様な緊張感を、宝石を手に入れたような贅沢感を与えられる芸術を産み出せるようになりたい。
矛盾の壁を越えて芸術と対峙する。
手名付けられない理想と現実よ、私は未だ夢を見ている。

まだ音楽でやりたいこと沢山ある
既存の作品に寄り添う音楽の表現や、いままでの経験で得たものを最終的に自分の作品に生かしたい
やっぱり根元から1から世界をつくらなくちゃだめだ
ツキナミを書いてより一層思いました。
そういう音楽家になりたかったし、今もそこへ向かって走っているつもりだし
自分の作品の、産み出した世界の、自分の音楽を、
スクリームを、ラヴを、デスペアを、ホープを!

セルフライナーノーツ
03「さんすくみ」
自分が3人いればいいのに。そしたら遊べて、仕事して、休めて、がそれぞれ満喫できるのに。足りない。時間が足りない。余裕が無い。1日48時間欲しい。そのうち12時間は寝たい。遊ぶことも好き、仕事も不可欠、休暇も必要。でもこれってきっと私だけじゃなくて人類一度は考えることなんじゃないだろうか?
「それを歌にすれば良いじゃん」とマネージャーに言われて自分の愚痴がそのまま歌詞になりました。「さんすくみ」とは3つのものが互いに苦手な物、得意な物を1つずつ持ち、それで3者とも身動きの取れない状態のことをいいます。すなわちじゃんけん、お座敷遊びで言うとらとらです。
自分が3人いたらきっともっと仕事がスムーズに行くし、1人が遊んでもう1人が十分な睡眠をとってみんなハッピーに違いない。でも、自分がこの世に3人いたら、自分の価値も3分の1になってしまう。あなたはこの世でたった1人だから尊くて価値があって、私はこの世でたった一人だから私として生きられる。体が分裂しても、心は1つだし、一つしかないから愛しいし大切。さんすくみはそういう思いを歌っています。尊さは1つだけしかないことみたい。
楽曲は、音源のようにもともと打ち込みっぽいアイドルがそれぞれの役割を歌い分けているようなイメージで作曲していましたが、長らくライブでやっているアレンジに慣れていた方には新鮮だったんじゃないでしょうか。「せっかくならCDならではの表現で、ということであえてこのアレンジで進めました。
無機質な電子音のなかにもチェロを重ねて録っています。毎回アレンジの際に「この曲にチェロ(ストリングス)は必要か、と議題に上がりますが、曲によってはかえってチェロが付け足した様に聞こえてしまう、そういう楽曲の場合はあえてチェロを抜いた方が聞こえが良いしイメージに近くなるので省いたりしています。
分島にチェロは必須!と思っている方もいらっしゃいますが、長年ライブを見て来た方はもうお分かりかと思いますが私とチェロとはもう1、2曲お休みするくらいじゃ崩壊しない「ツキナミ」な関係性が出来上がっていますし
これは「バンド」ではない「シンガーソングライター」の自由なところで、使う楽器やサウンドの縛りや制限が無いというのをプラスにとらえているところです。
話しが少しそれましたが今回はチェロを全面に入れ、何層にも重ねています。白神さんのアレンジで、チェロのパーツを4つくらいに分けて録って行ったのですが、最期迄どんな風に合わさって行くかが未知数で、あとチェロの音域よりだいぶ高い音域を録っていったので時間がかかりました・・
録り終わって重なった物を一期に聞いたときはこれだ〜!という感じで、チェロが全面に重なって鳴っているサウンドはライブではなかなか表せないのでぜひCDで味わって貰えたらなと思います。

セルフライナーノーツ
02「ツキナミ」
このアルバムの表題になっている楽曲です。2014年の6月17日に作ったメロディーと10月あたりにAメロを歌っている記録があったので、記憶が曖昧ですがパートによって作った時期が違った物を組み合わせて制作したようです。
特にAメロというか冒頭の部分は詩が先行だったらしくて似たような歌詞でいろんなメロディーの物が自分のレコーダーにいっぱい録音されていました。
この曲自体は実は別の楽曲用にデモとして提出した楽曲でした。 当時歌詞が無くて、結局使わないままだったのですが、ツキナミを作るにあたってメロディーラインを生かして歌詞が上手く乗ればいいなと思って作詞をしました。
ツキナミはとにかく歌詞にウエイトを置いて制作して行きました。
今迄あまり自分のストレートな気持ちの表現をしている歌をつくった事が無くて、それは歌いたくなかった訳ではなくて、単にタイミングの問題で、やはりアニメのテーマソングはテーマに沿った作詞になって行くので、純粋な自分の想いを歌い上げたものはライブ等で少し歌っていた程度でした。
音源になっている物でナチュラルな表現をしているものの中に「無重力」等があります。少し「無重力」について触れさせてください。この曲は自分の世界が保たれなくなってしまった状態の時に支えとなった全ての事柄への愛情に気づくというような歌になっていますが、かつて作曲した「celmisia」という楽曲のアンサーソングに当たります。「無重力」の後半には、歌詞の記載はありませんがこの「celmisia」の歌詞のその後を歌っています。(この「無重力」のアンサーソングが「自由落下とピノキオ」なのですがそれはまたいつかの機会に)
ツキナミは、自分が今歌わないといけない、今歌いたい、歌うべき歌詞を書くことに専念しました。誰かに対して曲を描くという難しさと素晴らしさを教えてくれたのが私にとってアニメ音楽でした。自分の「心臓の音楽」ももちろん愛しいけれど、その小さなシグナルや鼓動音に気づいてくれる人はそう多くはありませんでした。「心臓の音楽」をより遠く迄広く届けるには「脳の音楽」が必要でした。この「脳の音楽」に挑戦したことで、だんだんと自分の音が届く様になった。どちらかがかけても駄目だと言うことをこのとき理解しました。「音楽は聴いてくれる人がいないとただの修行だよ」と以前私のチェロの師匠が言っていたのですが、本当にその通りだと思います。聞いて欲しい人がいなければ独りだって音楽は出来るし、やっぱり私は自分の産み出した物を誰かに見てほしかったし、聞いてほしかったし、表現をしていれば幸せ、というきれいごとだけで音楽と向き合ってる訳ではありませんでした。出る杭は打たれる、楽しいだけが表現じゃないけれど、それ以上に私は表現が好きで、表現の優先順位が大きかった。風邪を引いてもご飯を食べられなくても、自分のどんな物が犠牲になったとしても、ずっと何かを産み出すことに費やして、費やして得たものが全てでした。ある日神様からご褒美で貰ったものなんて何一つありません。だからとても無骨。
そして薄っぺらくも、プライドや自尊心があった。一般的には醜い物だと思うし、恥ずべきものだと思って普段は閉じ込めているけど、表現に嘘はつけなくて、全て出てきてしまう。こういった気持ちを一度晒してしまえば楽なんだろうな、じゃないと私のことを誤解して、奇麗な物として見ている人にずっと嘘をつくことになる。これはデビュー当時からの課題でもありました。表現はあくまで表現ですから、演出によって産み出される作品もあります。デビュー当時私はその作り上げた美しさへの追求に必死になっていました。そこで学んだことや、得た物は本当に沢山ありました。それを経験したから今の自分がいるし、その糧が今の音楽の一部にもなっています。
今回のツキナミではもっと踏みこんだストレートな面を表現したかったので、そういった音楽への向き合い方、今の自分をなるベくかっこ良く聞こえる様に(笑)でも嘘はつかない様に綴りました。(ちなみに私は左利きですが、字は右なので右も使います。)
サウンドも同様、本当に好きにさせてくれた曲でした。メンバーもアーティストの方々に弾いて頂きました。
レコーディングはバンドからみんな一気に弾いて行って、私のチェロソロ、
その後ストリングス、別録りではやぴ〜さん、岸田さんのギター、といった感じでした。岸田さんはレコーディングにも顔を出してくれたのですが終止ずっとしゃべっていて、その印象が強すぎてその日何を食べたかとか結構記憶が曖昧です。しかし曲も褒めて頂いて、菊池さんのピアノはもっと狂った方がいい!ということになり、回を重ねるごとに凄くなって行って、最終的にそれぞれの音が喧嘩しないか不安だったのですが上手くミックスして頂いて熱くてキラキラしていて本当にかっこいい音にして頂きました。
デニュー前、バンドをしたくても仲間がいなくて孤独に音楽を作っていた私に取って、音楽を一緒に出来る人たちがいて、みんなで作り上げて行く感覚は、毎回とても感慨深く、大好きな時間の一つです。この楽曲の制作は凄くエネルギーを貰いました。そして、良い曲だから早くみんなに聞いてほしいと思った。

セルフライナーノーツ
01 「killy killly JOKER」
この楽曲の制作に入ったのが2014年1月の下旬頃、アニメセレクターのオープニングテーマのお話を頂いてデモを作り始めて、自分のレコーダーアプリの中にこの曲の元になる曲の鼻歌が1月23日、24日付けで記録してあったので多分そのくらいになります。
いままでアニメのテーマソングのお話はいくつか頂いていましたが、オープニングは初めてで、いわゆる「オープニングっぽいアニソン」が自分の中で書けるのかが一番のポイントでした。自分で言うのもなんですが、私の曲は一般的に言う「アニソン」向きではありません。以前からアニメは好きでしたが、アニメ音楽と自分の音楽を同じレンズで見たことは無かったので、自分の音楽の表現の中に積極的に取り入れる様になったのこの頃からだと思います。
曲調も、ボーカルのテイストも、アニソンを作るからには意識してアニメになじませて行かないと上手くアニメの輪郭に沿っていかないものだと感じましたし、自分なりに「アニソン」らしさを足して行っても最終的には「分島花音」が見え無ければ自分に任せて頂いた意味がなくなってしまうので
アレンジをして頂いた千葉さんと意見をやり取りしながら作って行きました。
アニメ作品は、ごく普通の女の子がカードゲームを始めて様々な思惑や事件に巻き込まれて行く少しファンタジー要素の入った物語で、可愛らしいイラストに反して全体的に彩度の低いシリアスなトーンでストーリーが展開して行くものでした。曲調は疾走感の中にも閉塞感を感じるものを、とのリクエストを頂いたので、ストリングスの駆け上がり等クラシカルな要素をメインに仕上げる事になりました。アニメ音楽の制作で一番苦戦するのが「1コーラスが1:30であること」です。オープニングの絵が動いている1分30秒の間にイントロからサビ迄を印象的にコンパクトに聞かせるというのは未だに難しいですし、経験にも関わって来ることなのかなと感じます。Killy killy JOKERもイントロ、アウトロ事件というのがありました・・笑
最初私がちょっと長めに作って来ちゃって、ほんの数秒なのですが、尺が多い!ってことになり、BPM早めたりイントロ加えたりアウトロ抜いたりいろいろ切り貼りして、(千葉さんにもその件でお手数おかけしました・・)今の形におさまりました。結果ベストな構成になったのではないかなと思っています。
そして曲の中盤には素直に2コーラス目、ではなくストリングスとチェロのソロを入れています。周りには「ソロ長くない?」と言われたのですがこれは私の希望でこの尺でパートを組んで、ストリング(バイオリン)とチェロが交互にターンを取り合ってバトルしているようなストーリーに仕上げてみました。結果的にこのパートからのDメロは気に入っております。そしてDメロなんですがここもアレンジで少しやり取りを丁寧にした場所でもありました。ここは「白鳥の湖(情景のサビ前の短調でもりあがるとこ)のイメージで!とリファレンスを千葉さんに投げていたので、千葉さんをだいぶ悩ませた記憶があります・・(基本的に千葉さんは私の無茶ぶりに毎回丁寧に答えてくださるマリアのような人です)当初のDメロよりだいぶおどろおどろしくなり、録音ではストリングスのトレモロや、ドラムも効果音的なニュアンスで打ってもらったりと凄く印象深い雰囲気になったと思います。
イメージというとBメロもショパンの幻想即興曲を意識してます。ストリングスが乗りやすい音の運びでクラシックは凄く参考にしています。
そんな感じで音周りは制作して行きました。
そして作詞ですが、これは原作が無いアニメオリジナルでしたので、頂いたキービジュアルやシナリオを拝読しながら制作して行きました。
手探りの状態での作詞ではありましたが、自分が作品に対して抱いているその先の見えない感覚が主人公の心情とリンクした部分もあり、彼女がどう動いて行くか、見ている人も未知数な世界の導引になる様に、さまざまな解釈の余地ができる言葉選びに専念しました。普段アニメ音楽の作詞に関しては、自分の感情や個人的な気持ち等とは別の世界で物語を作って行くイメージで作詞して行くのですが、今回も同様で、でもいろいろと難しい言い回しを使ってはいますが、簡単に言うと極限の状況でも自分を信じて負けたくないよという気持ちを歌っているので、後に制作の締め切りに追われたときとかは胸に沁みる曲となりました。
この楽曲を通して私を認知してくださった方が本当に多くて、セレクターでオープニングを書かせて頂けて本当に良かったなと思いました。自分の可能性を1つ引き出してくれた楽曲でもありましたし、このお話が無かったらこういった曲を作るきっかけは無かったと思いますので、運命に感謝します。

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